ライフ・イズ・ビューティフル
家族を守るために嘘をついた男の物語
あらすじ
ユダヤ人系イタリア人のグイドは小学校の教師、ドーラに恋をして結婚。息子も生まれ幸せな日々を送っていたが、一家は強制収容所に入れられてしまう。そこでグイドは幼い息子を勇気づけるためにある嘘をつく。

強制収容所が出てくる映画というと、ひたすら重く暗く沈み込むような雰囲気を漂わせているものだとばかり思っていましたが、基本的にコミカル。一歩間違えれば眉をひそめそうですが、締めるところは締めてちょうどいいバランスになっています。
主人公のすごいところはテンションの高さではない。
その勢いを最後まで貫いたことです。
辛かろうが苦しかろうが笑っていられて、他者のために優しい嘘をつける根性は尊敬と称賛に値する。

前半はドーラと出会い結婚するまでのラブコメです。
鍵→アイス→帽子のコンボに腹筋がノックアウト。
白馬の王子様ならぬ緑馬の王子様になって入ってきた時も噴きました。演出だと思った客が無邪気に拍手するのがたまらない。あの後どうなったんだろう。
前半の明るさがあるからこそ後半の辛い展開が際立ちます。

後半は一転過酷な状況へ。
ゲームのルール説明のところでは「上手い!」と思い、笑うべきか慎むべきか迷いました。
途中の叔父さんの「お怪我は?」は卑怯です。殺されようとしているのに自分を敵視している相手のことを思いやる……このような形で優しさが描かれるのが残酷です。
あの場面で、「優れた人間」とは何なのか。誰がどうやって決めるのか。そんな疑問が浮かびました。
苦しい時に本当の姿が見えるものだと思います。
助けられないことを遠まわしに告げる相手の表情も印象に残ります。

全体の“笑い”によって、悲惨さを前面に押し出すものとは異なる角度から惨さが描かれています。
グイドには生き延びてほしかった。しかし、安易な奇跡がないからこそ幸福を奪われる理不尽さや立ち向かうグイドの勇気が光るのだと思うと……。
魅力的な登場人物が死ぬのは辛い。だが、物語の展開や必然性、説得力などを無視した生存や復活は遥かに嫌。
そんなジレンマに苛まれながらラストへ。
悲しいけれどどこか救われた気持ちになるのは、グイドの勇気が実を結んだためかもしれません。
強靭な肉体を持っているわけでもなく、なぞなぞが得意で機転が利くくらいの一般人が、どうしてこれほど強さを見せられるのか。
真の強さについて考えさせられる作品でした。

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